第七話 透 二十一歳 懐かしい日々
大学と言うところは、広大な場所だと透は思っていた。高校の受験勉強をする際、近所の個人塾で、東京の某有名理系大学に通う学生講師の上原に勉強を見てもらっていた。
数学の証明問題を一問解くごとに上原は、今日彼が大学でしてきたことを雑談として話してくれた。透にとって、上原の話の中に登場する大学像こそが、いつの日か自分が通うことになる「大学」であった。
映画の予告編と本編が思っていたものと違う、ということはよくあることだ。
透の入学した大学もそうだった。想像以上に狭く小さい。
芝生があってちょっと仲間と談笑・・・そんなスペースはなかった。多少講義棟が近代的な建築物なだけで、かつて通った中学校の敷地面積とたいして変わらないような規模の大学。しかし、それも大学三年目となった今では違和感も感じないほど、この狭い大学を気に入っていた。
講義と講義の合間、もてあました時間は大学で最も高い五階の窓から学内を眺めるのが暇つぶしの常套手段だった。ここからの風景は学内の全てを見渡せる。遅い昼飯を食べに学食に入っていく学生。今日の講義を終えて帰りのバスに走る学生。朝からずーと日光浴をしている者。様々だ。
大きなあくびをして目を細めた視界の端に見慣れた自転車が通り抜けた。同じ吹奏楽部の明日香だ。入部当初は、どことなく近寄りがたい雰囲気をだしていた明日香だったが、丸二年も同じ部活動で音を出していれば、それぞれの性格にもボロが出てくる。結局、透の一方的な思い過ごしで話してみると明日香はごく普通の明るい二十代女子だった。
下宿組の食事は往々にして貧しいものだったので、週二回の部活動終了後に定食屋に寄るのは恒例となっていた。そんな定食屋ミーティングの話題の中に、明日香の病気が話題になった。筋肉が徐々に失われるとかで、この間の春休みに検査入院した結果、分かったらしい。確かに普段から歩き方に変な癖があるなと思っていたけれど、そんな病気があることは初めて聞いた。明日香も「なんか、わからないことだらけの病気でね。自分でもよくわからないの。」ということらしく、いまいち突っ込んで聞くのも悪いような気がしてそれ以上何も言わなかった。座って、話している姿も楽器を吹いている姿を見ても、別に今までと何も変わらない。
ただ、その後の体力の衰え方を見るにつれて、透の目からもそれが大変な病であることが分かるようになった。
大学四年の頃、いつものように五階の窓から学内を眺めているとヒョコヒョコとぎこちない歩き方で歩いている人の姿が見えた。明日香は杖を使って歩いていた。あとで聴いた話だが、軽量の組み立て式の杖で、歩行サポートの道具ということだったが、
(こんなものを使わないと身体を支えられなくなる病気って・・・)と奇妙に感じた。
自分と同じ歳の人間が、元は普通に歩いて走ったりもしていたというのに、ある日を境に自分の身体が言うことを利かなくなり始める。それはどんな思いなんだろう。
想像に耐え難い。
世の中には、そんな「難病」といわれる未だに原因がよく分かっていない病気がたくさんあるという。早期に老人のように身体の組織が老いてしまう病気。筋肉が骨になってしまう病気。明日香のように筋肉が痩せ細っていく病気。
少し調べてみると、そのような難病はたくさんあった。どこか遠い世界の話に思えてしまうが、間近にいる友人の身に現在進行形で起きているというのは現実感がありすぎる。
本人が一番強く何度も何度も思ったことだろうけど、「何で明日香が?」と思う。自らの不注意で信号無視をして交通事故に遭った、とかではない。ある日から、突然だ。どこまで悪くなるのか、本人にもわからない。そんな病気。
ほんの一、二年前まで、皆で自転車を走らせて定食屋に駆け込んでいた日々が懐かしい。
透のノスタルジックな想いとは関係なく、明日香の状態は確実に進行していた。練習用の車イスを積み込んだ軽自動車を明日香が自分で運転するようになる頃、彼らは大学を卒業した。
何か手助けしたいけれど、何もすることができない透と、
自分のことを自分一人で、できる限りしていかなくてはいけない明日香。
狭くても守られていた大学から、彼らは社会へと出て行く。それぞれのやるべきことを成し遂げるために。
(第八話 明日香 二十三歳 社会人一年目 に続く
大学と言うところは、広大な場所だと透は思っていた。高校の受験勉強をする際、近所の個人塾で、東京の某有名理系大学に通う学生講師の上原に勉強を見てもらっていた。
数学の証明問題を一問解くごとに上原は、今日彼が大学でしてきたことを雑談として話してくれた。透にとって、上原の話の中に登場する大学像こそが、いつの日か自分が通うことになる「大学」であった。
映画の予告編と本編が思っていたものと違う、ということはよくあることだ。
透の入学した大学もそうだった。想像以上に狭く小さい。
芝生があってちょっと仲間と談笑・・・そんなスペースはなかった。多少講義棟が近代的な建築物なだけで、かつて通った中学校の敷地面積とたいして変わらないような規模の大学。しかし、それも大学三年目となった今では違和感も感じないほど、この狭い大学を気に入っていた。
講義と講義の合間、もてあました時間は大学で最も高い五階の窓から学内を眺めるのが暇つぶしの常套手段だった。ここからの風景は学内の全てを見渡せる。遅い昼飯を食べに学食に入っていく学生。今日の講義を終えて帰りのバスに走る学生。朝からずーと日光浴をしている者。様々だ。
大きなあくびをして目を細めた視界の端に見慣れた自転車が通り抜けた。同じ吹奏楽部の明日香だ。入部当初は、どことなく近寄りがたい雰囲気をだしていた明日香だったが、丸二年も同じ部活動で音を出していれば、それぞれの性格にもボロが出てくる。結局、透の一方的な思い過ごしで話してみると明日香はごく普通の明るい二十代女子だった。
下宿組の食事は往々にして貧しいものだったので、週二回の部活動終了後に定食屋に寄るのは恒例となっていた。そんな定食屋ミーティングの話題の中に、明日香の病気が話題になった。筋肉が徐々に失われるとかで、この間の春休みに検査入院した結果、分かったらしい。確かに普段から歩き方に変な癖があるなと思っていたけれど、そんな病気があることは初めて聞いた。明日香も「なんか、わからないことだらけの病気でね。自分でもよくわからないの。」ということらしく、いまいち突っ込んで聞くのも悪いような気がしてそれ以上何も言わなかった。座って、話している姿も楽器を吹いている姿を見ても、別に今までと何も変わらない。
ただ、その後の体力の衰え方を見るにつれて、透の目からもそれが大変な病であることが分かるようになった。
大学四年の頃、いつものように五階の窓から学内を眺めているとヒョコヒョコとぎこちない歩き方で歩いている人の姿が見えた。明日香は杖を使って歩いていた。あとで聴いた話だが、軽量の組み立て式の杖で、歩行サポートの道具ということだったが、
(こんなものを使わないと身体を支えられなくなる病気って・・・)と奇妙に感じた。
自分と同じ歳の人間が、元は普通に歩いて走ったりもしていたというのに、ある日を境に自分の身体が言うことを利かなくなり始める。それはどんな思いなんだろう。
想像に耐え難い。
世の中には、そんな「難病」といわれる未だに原因がよく分かっていない病気がたくさんあるという。早期に老人のように身体の組織が老いてしまう病気。筋肉が骨になってしまう病気。明日香のように筋肉が痩せ細っていく病気。
少し調べてみると、そのような難病はたくさんあった。どこか遠い世界の話に思えてしまうが、間近にいる友人の身に現在進行形で起きているというのは現実感がありすぎる。
本人が一番強く何度も何度も思ったことだろうけど、「何で明日香が?」と思う。自らの不注意で信号無視をして交通事故に遭った、とかではない。ある日から、突然だ。どこまで悪くなるのか、本人にもわからない。そんな病気。
ほんの一、二年前まで、皆で自転車を走らせて定食屋に駆け込んでいた日々が懐かしい。
透のノスタルジックな想いとは関係なく、明日香の状態は確実に進行していた。練習用の車イスを積み込んだ軽自動車を明日香が自分で運転するようになる頃、彼らは大学を卒業した。
何か手助けしたいけれど、何もすることができない透と、
自分のことを自分一人で、できる限りしていかなくてはいけない明日香。
狭くても守られていた大学から、彼らは社会へと出て行く。それぞれのやるべきことを成し遂げるために。
(第八話 明日香 二十三歳 社会人一年目 に続く